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今日もなぜかハンバーガーを食べた。
やった後悔とやらなかった後悔ならやった後悔、とは何か?と今日考えていた。
言わんとすることは理解できる。告白できたならしたほうが、たとえダメでも今すっきりしているかもしれない。
そういうことではなく、そもそもやらなかった後悔とは何なんだろう。
そこで考えられているのは、仮にやった場合に生みだされていた仮想の出来事を、惜しいと思うことである。それは何なんだろう。
その上、(つまらなくなっていくけど)、何からの心的状態ないし、主体そのものの状態の比較がなされているので、その根拠が知りたくなっていく。少し。
僕は中学のとき、担任に高専が向いてると言われた。
たまにそのことを思い出してきた。そうかもしんないなーと。
これも、なんなんだろうね。