ゆれればゆれる
厳しい。プラマイゼロではない。大宮駅の人混みに気が触れてしまった。そこにいる誰もが。ハッシュドポテトはもう少し華やかな食べ物だと思われる。あまりにも薄い。
弓道着?を来て、弓?を持っている人間を多く見た。僕は的を失ってふらふらしていた。
的のないことは問題ではなく、"的を求めるとき的のないことは悲しい"ということが問題である。疾風怒濤時代。
報われないと思う。あらゆることが。ハッシュドポテトが挟まったハンバーガーを食べても、酒を飲んでも、性欲を満たそうが、人と仲良くなろうが。
いくつかの活動は、その動因に既に人間が関与できないものがあるのかもしれない。
とはいえ、そうであったとしても、それをも含めて報われない。
報われるなんてことは、人生が人間に求めるものでもなければ、世界の内にありえている状態ですらない。
よくわからない文章だ。
報われないとしたら、あらゆる活動を行わねばらないなんてことはないだろうと思う。
快楽ですら、それが与えられたとしても、救いには程遠いので。
無視点的な悲しみがありうるかもしれないと考えた。
誰が悲しむのかはわからんけど。