本当に失ったとしたら
やりたいと思っていた熱意、欲しかったオモチャ、そういう関係になりたかった人
なんでもいいけど、それらを本当に失うと、失ったことにすら気が付かない。
感傷マゾになりうるのは、それらを微かにせよ思い留めているうちにのみである。
僕は何を失ったのだろうか。
本当に失ったものについては、考えることも、語りうる術もないのではないか。
学術一般に代表されるような積み重ね式のスキルにおいても、意識的な習得過程に対して、無意識的な忘却課程があるように思う。そこにおいても何を自分は失ったのか、人は語りうる術がない。原理的に。
失う事柄と得る事柄の釣り合いが分からない以上、成長というものが本当にあるのかどうかも分からない。ある側面での成長は、ある側面での衰退にほかならないかもしれない。
唇をなめた。部屋は小奇麗にされていて、薄暗く電気を落としている。
当たり障りのない会話と、それを続けまいとする腕。
ヴァンドームラシックカイセキ。